13歳でモーニング娘。に加入し、一気にスターダムへ駆け上がった後藤真希。
しかし、その華々しいデビューの裏には、想像を絶する苦難が隠されていました!
後藤真希のデビュー当時の仰天エピソードの数々をご紹介します!
ぜひ最後までお読みくださいね!
この記事でわかること
・1999年9月後藤真希が「うたばん」初出演時に発した放送禁止用語について
・ゴマキがデビュー当時に実際あった波乱万丈のエピソードについて
後藤真希の「うたばん」初出演時の放送禁止用語事件とは?!
ゴマキが緊張のあまり口走った衝撃の一言
ゴマキがデビュー当時発した放送禁止用語は、下ネタ系の禁止用語であったようですが、言葉自体は明らかになっていません!
後藤真希がデビューしたのは、1999年9月。
ゴマキは「モーニング娘。」の3期メンバーとして加入し、同年に発売されたシングル「LOVEマシーン」でセンターとしてデビューしました。
後藤真希がモーニング娘。としてデビューし、1999年9月9日に当時の人気音楽番組「うたばん」に初出演した際、衝撃的な出来事が!!
当時13歳だった後藤真希は、カメラの前で突然「ピー」と放送禁止用語を発してしまいました。
スタジオは一瞬凍りつき、共演者やスタッフは驚きを隠せない様子だったという。
しかし、ベテラン司会者である石橋貴明と中居正広の機転と、スタッフの迅速な対応により、この部分はカットされ、放送事故は回避されました。
この出来事は、メンバー加入からデビューまでが超短期間であった当時のアイドル事情に原因がありそうです。
同時に、音楽番組は生放送が多く、その危うさと、それを支えるプロフェッショナルたちの技量も浮き彫りになりました。
デビュー曲「LOVEマシーン」でのセンター抜擢
13歳のゴマキが担った重責
後藤真希は加入早々にセンターを任されました。
この大抜擢は、グループ内外に大きな衝撃を与えましたよね!
13歳の新人がミリオンセラーとなる大ヒット曲のセンターを務めるという重責は、想像を絶するプレッシャーだったことは想像にたやすいですね。
後藤はその当時のことを、
毎日が目まぐるしく、考える余裕もなかった
と振り返るゴマキですが、ライブの合間にご飯をかきこんだり、メンバーとの初顔合わせのあとの弁当タイムでは、前歯に海苔をつけてニカッと笑い「見て見て~」と周囲にアピールしていた、など、大物っぷりを伺わせるエプソードに事欠きません!
そんなゴマキなので、このセンターへの抜擢は後藤の才能への期待の表れででしょうね。
プロデューサーの鋭い目に見出された彼女の潜在能力が、グループの新たな魅力を引き出すことになりました!
「ピンチランナー」映画撮影中の流血事故と引退決意
撮影中の思わぬ大事故の詳細とは?!
デビュー間もない頃、後藤真希は映画撮影中に思わぬ事故に見舞われました。
撮影中、バケツに入った血のりをかぶったところ床が滑って転倒。
地面に顔面をぶつけて歯が折れ、鼻も折れたのか鼻血も出る“大事故”が起きてしまったのです。
ゴマキはそのときのことを、
(倒れた)目の前に自分の歯が飛んでるのが見えた
鼻が折れて鼻血もブワーってなってるんだけど、血のりでわかんないの。どこかが自分の血なのかわからなかった
と振り返っています。
血のりと自分の血で染まった後藤さんは救急搬送され病院の手術台の上へ。
医師と話すためにスタッフもいなくなって1人にされたときに家族に電話し、
もう辞める。こんな顔で続けられない💦
と泣きながら訴えたそうです。
しかし、家族の支えと励ましにより、この危機を乗り越えることができたゴマキ。
この経験は、ゴマキの精神的成長を促すきっかけとなりました。
同時に、アイドルの裏側にある危険性や、家族のサポートの重要性を浮き彫りにした出来事でもありました。
人生最高レストランでの告白と成長の軌跡
後藤真希は、11月16日の「人生最高レストラン」で、これらのエピソードを初めて公に語りました。
デビュー当時の苦労や挫折、そして成長の過程を赤裸々に告白したのです。
この告白は、多くのファンや視聴者に衝撃を与えました。
SNS上では「知らなかった」「尊敬する」といったコメントが殺到。
後藤の強さに感銘を受けた人も多かったようです。
まとめ
後藤真希のデビュー当時の波乱万丈エピソードは、
①1999年9月9日、石橋貴明と中居正広がMCを務める音楽番組「うたばん」に初出演した際に、放送禁止用語を発した事件
②モーニング娘。主演の映画「ピンチランナー」の撮影時、バケツの血のりをかぶった際、床に落ちた血のりで滑り顔面から転倒、歯と鼻が折れ鼻血も出る大けがを負った事故
③👆の事故をきっかけに「もう辞める!こんな顔で続けられない!」と芸能界引退を決意したが、家族の励ましと支えによって続けることができた
と、たくさんのエピソードがあった。
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