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服部隆之の代表作がすごいが年収は?実家も音楽一家でお金持ち?家系図も!

音楽
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数々の人気ドラマの音楽を手掛けてきた服部隆之氏。

代表作が凄い!こんなに人気のものが多いと、年収もすごいのでは?!と思い、調べてみました!

なんと、実家の服部一族もすごかった!!

ぜひ最後までお付き合いくださいませ~

この記事でわかること
・服部隆之氏の代表作
・服部隆之氏の推定年収
・服部隆之氏の実家について
・服部一族の家系図

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服部隆之氏のwiki風プロフィール

ではまず、服部隆之氏のプロフィールから見ていきましょう!

名前:服部隆之(はっとり たかゆき)
生年月日:1965年11月21日生まれ
年齢:58歳(2024年6月現在)
出身地:東京都
学歴:パリ国立高等音楽院卒業
職業:作曲家・編曲家
配偶者:服部エリ
事務所:フェイス音楽出版
受賞歴:作曲家として96年「蔵」98年「誘拐」・「ラヂオの時間」の3作品が日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞

6歳のころからピアノを習い始め、中高とブラスバンドを楽しみ、自身でもバンドを組んでいたそう。

音楽は好きだったと言うが、そのころすでに郷ひろみや山口百恵らトップスターのショーの音楽作りなどに慌ただしく過ごしたいた父親から、「家業を継げ!」などと強制されなかったことが大きかったと語る。

成蹊小学校、成蹊中学校とすすみ、成蹊高等学校2年次に中退し、音楽を学ぶためパリへ。

2回の不合格を経てパリ国立高等音楽院に合格!3年間学んだ後に帰国した。

その5年間のパリ留学生活について、服部隆之氏はこう語っている。

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服部隆之氏
服部隆之氏

〈パリでの暮らしは刺激に満ちていた〉

地理的にアフリカにも近いし、欧州の中心的な位置でもあり、米国にも大西洋を渡れば6〜7時間で行ける。だから一流のジャズミュージシャンも、当時共産圏のソ連や東ドイツのオーケストラなども、どんどんパリに来る。コンサートを聴くにも、立ち見席や天井桟敷の席があって、ものすごく安い料金で見られます。
世界中のミュージカルがパリに集まってきていたし、東京-大阪間くらいの気持ちで飛行機に乗れば英国に行ける。そうしたらロンドンでミュージカルを見まくりですよ。「キャッツ」「レ・ミゼラブル」…。
そうやって、いろいろな種類の音楽やエンターテインメントに触れることができました。手軽に、レベルの高い音楽がさっと手に入る、あの環境はとてもよかったです。

この話を聞くと、一流のものに触れるということの重要性がわかりますね。

帰国後から音楽家としての初仕事、89年1月発売のさだまさしさんの『夢の吹く頃』のアレンジでした。

その仕事は、親の七光り、いや十四光だと自分でも語っていましたが、うまくいけば『さすが服部先生のご子息ですね』となり、ダメなら『ご子息なのに』となる。

その後も次々と人気作を手掛けていくうちに周囲もご自分も七光りも気にならなくなっていたそうです。

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服部隆之氏の代表作一覧!

あまりにも作品が多いので、代表作を選んで一覧にしてみました!

ドラマ
TV番組
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映画
編曲
ゲーム
CM

まだまだありすぎて書ききれないほど!これを見ると、多忙な日々を送っているだろうことが容易に想像ができます!

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服部隆之氏の年収は?!

服部隆之氏の年収は、数千万円~1億円超と推察します!

作曲家の年収は、知名度キャリアによって大きな差があり、また大きく分けて3つの勤務先によって大きく収入も変わります。

では、そのあたりを詳しく見ていきましょう!

作曲家の勤務先

企業に所属する作曲家➡月給制で安定した収入が得られるが、ヒットしても大きな増収は得られない

音楽出版社と契約する作曲家➡出版社から仕事の発注を受ける、出来高制や委託契約の形が多く、大きな収入を得られる反面、経済的に不安定な要素も大きい

フリーランスで活動する作曲家➡完全な実力主義、コンペで仕事を得るため、才能によって月収0から年収数千万も!

服部隆之氏はフェイス音楽出版に所属しており、にあたると思われます。

作曲家の収入源は?

作曲家の収入源は、制作した楽曲の著作権印税または、制作を依頼したクライアントからの報酬(著作権ごとの譲渡)です。

①著作権印税

作曲家の印税には、原盤印税著作権印税の2つがあります。

原盤印税とは、CDの販売数に応じて支払われる印税で、売上の中から契約によって決められた割合で作曲家に支払われます。

著作権印税とは、CDのリリース後にカラオケ店で歌われるドラマやCМで流されるなど、使用されるごとに発生する印税です。

②楽曲の買い取り

買い取りとは、制作された楽曲を著作権ごと買い取ることで、作曲家から見ると一定の金額でクライアントに著作権を放棄して譲り渡す行為です。

ドラマの主題歌やCMソングなどは、ほとんどの場合買い取り形式で作曲家にオーダーされます。

作曲家への依頼料金は、1曲あたり3~100万円のように相場の幅が広い傾向にあります。依頼する作曲家によって料金体系はさまざまです。

服部隆之氏の年収を考察!

CMなどは買取の楽曲が多いでしょうし、映画などはその音楽の契約料やサウンドトラックCDなどが発売されたりもして印税収入が継続して見込める可能性があり、有名アーティストの楽曲などはCDセールスの他にカラオケで歌われるごとの収入があり、人気ドラマ音楽を手掛けていくことにより次作の契約料はどんどん上がっていくでしょう。

これまでの作品の印税は数百万以上あると思われ、加えて年間数件あるであろう契約料は、1件あたり300万円~500万円、少なく見積もっても数千万は下りません。

服部隆之氏が著作権印税、楽曲買取のどちらを選択しているか、楽曲ごとに異なる可能性もありそれは所属している音楽出版社やクライアントとの契約によるところなのでわかりませんが、実力・経歴ともに華々しい服部隆之氏の1作品ごとの金額は非常に高いと推察できますよね!

そして、有名アーティストへの作曲は、報酬が高い上にCDセールス枚数やカラオケで歌われる回数も多くなり自然と印税収入が上がります!

デビュー時からすでに年に数件の仕事があった服部隆之氏はデビュー時からかなりの額の年収を得ていたと考えられます。

まず、デビュー時からさだまさしさんの楽曲を担当できたこと、父親・祖父からのコネクションが豊富にあること、実家の音楽環境が整っていたこと、など実力を得られる場に恵まれていました。

服部隆之氏は👆の代表作からもわかるように、誰もが知っている代表作を毎年作り続けており、それがデビューから現在まで続いています。もう親の七光りなんて関係ありませんよね。

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服部隆之氏の実家は金持ち?!

高校を中退して昭和58年7月にパリに渡った。
パリ国立高等音楽院の入学試験を受け、同年と59年の2度落ちたが、3度目の正直で60年秋に合格した

父、そして祖父ともに著名な音楽家であることは有名な服部家。

隆之氏がパリへ留学したエピソードからも、お金持ちっぷりがわかります。2浪してパリ国立高等音楽院に入学し、3年間学んだ隆之氏。

その当時からパリへの渡航費、滞在費、入学金や学費などを難なく捻出できる裕福な家庭でした。

もちろん、高校2年生の隆之氏が単身フランスで渡ったわけではありません。父親とともに渡仏し、現地でフランス料理のコースを食べ、そのときの思い出のデザートについて語ったエピソードもあります。

「父の音楽そのもの」だという軽やかなデザートウフ・ア・ラ・ネージュ

渡仏し、現地ではフランス料理のコースを堪能、オーケストラやミュージカル鑑賞の日々、なんて贅沢な日々を過ごしたんでしょうか!

それも、服部家の財力のなせる業ですね。

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服部一族の家系図

とにかく著名人の多い服部一族。

左:克久氏 中央:隆之氏 右:良一氏
祖父 服部良一

作曲家。淡谷のり子さんの『別れのブルース』が代表曲。

父 服部克久

日本レコード大賞編曲賞を受賞。
多くの歌謡曲、アニメやドラマ・映画の音楽を手がける。

妻 服部エリ

服部氏の妻で、元プロヴァイオリニスト。

娘 服部百音(はっとり もね)

現役のプロヴァイオリニスト。

叔父 服部良次

「劇団黒テント」の創設メンバーで、役者。

大叔母 服部富子

宝塚歌劇団娘役出身の歌手。

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まとめ

服部隆之氏のプロフィール、経歴、代表作、年収、家系図をみてきました!

代表作の多さにびっくりですよね!

そして、その推定年収にもビックリ!売れっ子作曲家ってこんなにすごいのかと思いました。

ですが、音楽家は食えないと言われますが、才能や実力がモノを言う世界。デビュー当時から親の七光りと言われコネクションは抜群にありましたが、これだけヒット作を作り続けてこられたのは実力の賜物。

これからもいい音楽に期待したいですね!

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