こんにちは!
今回は、2024年10月9日放送の「笑ってコラえて!2時間SP」に登場する、丸谷先生についてご紹介します!
丸谷先生は、大阪府立淀川工科高校吹奏楽部を全国大会の強豪として導いた立役者として知られています。
その指導法や人間性は今なお多くの人々に影響を与え続けています。
この記事では、丸谷明夫先生の家族や名言、指導法、そして彼が残した功績について深く掘り下げていきます。
この記事でわかること
・丸谷明夫先生の息子や家族について
・丸谷先生の名言や激怒集について
・受け継がれる丸谷先生の指導について
・丸谷明夫氏のプロフィール
丸谷明夫の家族構成:吹奏楽指導者の素顔
丸谷明夫氏は、吹奏楽指導者としての顔だけでなく、一人の父親としての顔も持っていました。
息子と娘との関係性:音楽教育への影響
丸谷氏には息子さんと娘さんがいるそうです。
奥様は、丸谷彰子さんで、息子の保敬(やすたか)さんと娘さん、家族構成は4人家族だったようですね。
保敬さんは淀川工科高校吹奏楽部のOBでもあり、父親の姿を間近で見てきました。 丸谷氏の音楽への情熱は、家庭でも強く表れていたようです。
丸谷明夫の名言集:吹奏楽指導のカリスマが残った言葉
丸谷明夫氏は、教師として、吹奏楽の指導者として多くの印象的な言葉を残しました。
真心を磨く重要性:音楽と人間性の関係
普段の小さな気遣いが音楽になるねん。
音楽以外の小さな気遣いや。
この言葉は、その考えを端的に表しています。これらの言葉は、技術的な練習だけでなく、日常生活における思いやりや気遣いが音楽表現に直結することを示唆しています。
心を磨け。それが音に出るから。
技術を練習するだけではいい音は作れない。それが丸谷氏の信念であり生徒たちに伝えたかったことなんですね。
日々の練習に対する姿勢:努力の大切さ
相手の立場になって考えなあかんねん。
”生徒たちの自主性と努力を重視する丸谷氏の指導方針を表している”言葉は、生徒たちの主体性と努力を重視しています。
また、「相手の立場になって考えなあかん」という教えは、音楽だけでなく周りの人への配慮の心を育てる丸谷氏の指導哲学を示しています。
これらの言葉は、吹奏楽の技術を磨くだけでなく、人間としての成長を期待する丸谷氏の指導スタイルを反映しています。
丸谷明夫の指導法:激怒エピソードから学ぶ情熱
丸谷明夫氏の指導法は、時に厳しさを伴うものでしたが、その根底には生徒への深い愛情がありました。
厳しさの中にある愛情:生徒への思い
やっぱり素直な子が伸びます。
”素直”というと、先生に言われたとおりにやるという単純な感じで捉えがちですが、純粋とか、ひたむきに頑張るとか、丸谷氏の指導は、技術を教えるだけでなく、生徒の人間性を育むものでした。と同時に探求を引き出すことを重視していることを示しています。
この言葉からは、丸谷氏が生徒一人の可能性を信じ、その潜在能力を引き出すような姿勢が心がけています。厳しい指導の中にも、生徒への深い愛情と信頼が込められていたのです。
淀川工科高校吹奏楽部の躍進:丸谷明夫氏の功績
丸谷明夫氏の指導のもと、大阪府立淀川工科高校吹奏楽部は全国大会常連の強豪校へと成長しました。その功績は、吹奏楽界に大きな影響を与えました。
全国コンクールでの成果:金賞への歩み
淀川工科高校吹奏楽部は、丸谷氏の指導のもと、全日本吹奏楽コンクール高校の部に36回出場し、なんと32回金賞を獲得しました!これは全国最多の記録です。
この驚異的な成績は、丸谷氏の指導力と生徒たちの努力の賜物です。
特筆すべきは、入学する生徒の大半が初心者だったという点です。 丸谷氏は、経験のない生徒たちを短期間で全国レベルの演奏家に育て上げた指導力を持っていたのです。
丸谷明夫の遺産:現代の吹奏楽指導への影響
2021年12月に76歳で去った丸谷明夫氏ですが、その教えは今も多くの人々の心に生き続けています。
後任者の取り組み:指導継承
丸谷氏の教えを受け継ぐ後継者たちは、その指導法を継承させ発展しています。
例えば、淀工吹奏楽部の卒業生が教師となり、丸谷氏の指導哲学を次世代に伝えています。
これらの後継者たちは、丸谷氏の「相手の立場になって考えなあかん」という教えを胸に、技術指導だけでなく人間性にも育成力を入れています。
丸谷明夫メソッドの今:進化する吹奏楽教育
丸谷氏の指導法は、現代の吹奏楽教育にも大きな影響を与えています。
普段の小さな気遣いが音楽になるねん
という丸谷氏の言葉は、技術だけでなく人間性を重視する指導の重要性性を示しています。
この考え方は、現代の吹奏楽教育において、概念技術指導を超えた総合的な人間教育の重要性を再認識させるものとなっており、指導者や生徒たちに影響を与え続けているのです。
丸谷明夫氏の功績は、近代吹奏楽の技術向上だけでなく、音楽を通じた人間形成の重要性を私たちに教えています。その教えは、音楽の枠を超えて、私たちの日常生活や仕事においても同じです。
丸谷氏の言葉「心を磨け。それが音に出るから」は、音楽だけでなく、人生のあらゆる場面で私たちを導く指針となります。
丸谷明夫氏の精神は、今も多くの人々の心の中で生き続け、吹奏楽界だけでなく、教育界全体に大きな影響を与え続けています。
丸谷明夫氏のwikiプロフィール
滋賀県に生まれ、大阪工業大学卒業後、電気科の教師として大阪府立淀川工科高校に赴任した。
1974年に全日本吹奏楽コンクール全国大会に初出場。それ以降41回出場を果たす強豪校に育て上げた。
丸谷氏自身は音楽の経験はなく、すべて独学に学び、指導していた。
まとめ
2004年、「1億人の大質問?!所さんの笑ってコラえて!」の人気コーナー、『吹奏楽の旅』に登場した、大阪府立淀川工科高校の吹奏楽部の顧問、丸谷明夫先生。
丸谷先生の指導時代、淀工吹奏楽部は、全国大会出場41回、そのうち金賞32回獲得しており、全国最多の成績を収めている。
丸谷先生は音楽経験はなく、独学で音楽を学び、吹奏楽部の顧問となった。
その教えは、音楽の技術を磨くだけでなく、「心を磨け」「普段の気遣いが音楽になるねん」など、人間性を重視した指導で、ときには強く激怒することもあるが、愛のムチで飴と鞭を使い分け、生徒たちを導いていた。
2021年12月7日、享年76歳で膵頭部がんのため亡くなった。
コメント